黒柳徹子「ザ・ベストテンでランキングの操作は一切なかった」
人気音楽番組「ザ・ベストテン」を手がけ、8月28日に特発性間質性肺炎のため死去した元TBSプロデューサー・山田修爾さん(享年67)の葬儀・告別式が3日、東京・青山葬儀所で営まれ、同番組で司会を務めた黒柳徹子(80)、久米宏(69)ら約200人が参列した。
黒柳は弔辞の中で、1978年1月の番組開始時に「本当に1位でない人を、1位と言わせないでください」と“ランキング操作”拒否の姿勢を打ち出したところ、山田さんは番組終了までの12年間、その約束を守り抜いたことを明かした。
第1回放送は、大人気だった山口百恵さんの楽曲が11位。同番組はベスト10に入った歌手が生出演して歌う内容で、ランキング番組には「出たくない」という理由でベスト10に入ったものの、出演しなかったアーティストもいた。番組関係者の間には「(番組に出たくないない人がいるなら)百恵さんを出してもいいんじゃないか。百恵さんの出ないベストテンなんて」という声も上がったが、山田さんは「黒柳さんとの約束だから」と認めなかったエピソードを披露した。
番組では“出演拒否”の理由を司会者が説明するという異例の演出も話題を呼んだ。
黒柳は、「山田さんは清廉潔白な人。約束を12年間、守ってくださった。ベストテンは60年のテレビの仕事の中で宝物」と胸を張り、黒柳とともに取材に応じた初代司会者の久米宏も「黒柳さんがおっしゃったように、曲がったことが大嫌いだった」と故人をしのんだ。
出棺は「ザ・ベストテン」のテーマ曲でお見送り。懐かしのイントロが流れると、黒柳は涙をぬぐい、拍手で天国へと旅立つ山田さんに別れを告げていた。
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/09/03/0006306341.shtml
>>3
ルビーの指輪の人気は凄かったからな。
小学生まで歌ってたくらいだw
誰だそれ
東武の社員?
番組はそれの集計作業してるだけのことだ
レコード会社がファンにラジオへの
リクエストはがき書かせてました
ネットもないマスメディアによる完全情報統制時代だから
やりたい放題言いたい放題できるわ
ハガキ、マジで
当時はプレゼント応募やらOUTへの投稿やらで、世の中の必需品
気温マイナス20℃(深呼吸で肺が凍傷おこすレベル)のゲレンデで歌わせたり
大量の変な踊りのバックダンサーとか毎回意味不明なセットとか
カオスだった事だけは憶えてる
仲村トオルは気の毒だった。
誰の影響で出られなかったの?
本人の希望で
※仲村トオル自身、仲村自身は音痴だと思ってたので出演を断ってたらしい
マジかw
そういうの事務所的には勘弁して欲しいだろうなあ
仲村トオルより来生たかおさんの方が気の毒だぞ
「セーラー服と機関銃:薬師丸ひろ子」は出演NGで
原曲の「夢の途中:来生たかお」にリクエストが流れたのに
『来生たかおさんの「夢の途中」は、薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」と合わせて集計しております』
で弾かれたんだぜw
来生たかおも薬師丸ひろ子も結局出たよね
歌の~なんかだと出ないヤツは速攻でランキングハズされてたりしたような。。
あと、演歌は1枠とか縛りはあったんじゃねーかな。。
見てて楽しかったわ
確か大沢誉志幸がそして僕は途方に暮れるで2位になったときって
本当は1位だったけど出ないってんで2位になったとかなんとか…
局はランキング操作する気だったんだな
当然だったんだろうな
事務所とかレコード会社がそういうのをやってたんだろ。
結局金使えばベスト10に入れたんだなw
>>26
はがき、ラジオリクエスト、有線リクエスト、レコード売り上げを独自の集計方法により
スーパーコンピューター(笑)で計算されたものがランキングw
当時コンピューターってだけで説得力があったw
レコード売り上げ
有線放送
ラジオ総合
ハガキ
この四項目の掛け合わせで詳しい比率忘れたけど3:1:2:4とかそんな感じだった
アイドル系はハガキが強くて有線が弱いとか
番組にあまり出ないニューミュージック系はハガキが弱いとかの傾向があった
今なんてランキング関係なしでコネのある奴がテレビに出るだけだもん
あの頃の大抵のアイドル歌手のレコードに、ベストテン、トップテンのリクエスト応募先出てたからなあ
見てる方は、今みたいに何でもすぐにわかる世界じゃなくても
町でよく聞く、俗にいう売れている曲が上位に来るからランキングに違和感はなかったな
有線もラジオもはがきもマンパワーの人海戦術でどうにでもなると言えばなるんだけどね
1 2
コメントを残していく